いらっしゃいませー。
やる気のない店員の声が自動ドアが開くたびに聞こえた。特に欲しいものもなくめぼしい雑誌も読みつくし、榛名は白と緑のパッケージの薄い箱を片手に、スナック菓子の並んだ商品棚を物色した。
買う気もなく、チョコレート菓子の箱を1つ手にとって見る。198円もすんのかよ、高ぇな。
受験だとかなんだとか理由をつけられて野球を取り上げられて、毎日が暇だった。自主トレは毎日欠かさないが、キャッチャー相手に投げないとカンが狂う。冬なんか終わって、早く4月になればいい。
棚に戻しながら視線を上げる先の、雑誌コーナーの向こう側は真っ暗だった。夜のように。冬だからだ。本当に、冬なんてなに一ついいことない。寒いし。榛名は、携帯をポケットから取り出した。7時10分。12/11の。
「あ」
と、思い出して榛名は顔を上げた。ガラスの向こうの闇の中を、見覚えのある姿が俯いて、早足に通り過ぎていった。
練習が終わった帰り道、見上げる空には星が瞬いていた。
夜空に向かって上がってゆく息が、白く変わる。寒い。練習場で身体を動かしているときにはあまり感じない寒さが、冬の帰り道を一人で歩く阿部の小さな身体に雪のように降ってくる。
しんしんと空気は冷たく、夜は静かだった。
ほんの少し前までは、うるさいぐらいだったのに。
眉間に皺が寄り、阿部は俯いた。思い出してしまうのが嫌で、前のめりに早足で歩いた。今日は早く帰るようにと母親から言われていた。小さな弟は、ケーキを目当てに朝からご機嫌だった。父親も仕事を早くきりあげると言っていた。
早く、帰らないと。
甦ってくる記憶に追い立てられるように、阿部は急いで歩いた。頬に当たる風が冷たかった、けれど、頭を冷やすのには丁度いいと思った。冬は寒くて、空気が冷たくて、でも好きだ。あいつは寒がってぎゃーぎゃーうるさかったけど。だめだ、考えるな。
夏が好きだと言っていた。ぎらぎら太陽みたいに笑っていた。傲慢で、自分のピッチングに自信を持っていた。それ以外のものには、何の価値も持っていなかった。チームにも。チームメイトにも。
阿部の歩みが、ふいに何かにくじけたように緩んだ。ゆっくりと速度を落とした足が止まりそうになる。バカ、思い出すな。阿部はぎゅっと目をつむった。あんなヤツのこと、もう、忘れるんだ。
まぶたの裏の闇の中に、輝くような夏の光とマウンドが浮かびあがる。投球ポジションに立つ、ピッチャー。網膜に焼き付いて離れない、投球フォーム。
もう二度と、バッテリーを組むことはないんだ、から。
「タカヤ!」
足が、縫い付けられたように止まった。
阿部は、目を開いた。聞き間違いようのない、世界の王様みたいな偉そうな声。来た道を振り返ると、街灯が照らすアスファルトの上に榛名が立っていた。ファーのついた温かそうなブルゾンを着て、両手をポケットにつっこんでいる。右腕に、白いコンビニの袋が下がっていた。
ああ。さっきのローソン。
阿部は口を閉ざしたまま、帰り道にあったコンビニを思い返していた。言うことなんて、何も思いつかなかった。なんで、ここにいるのかとか。偶然に決まってる。よりによって。いやな、偶然。
榛名と自分との間にある距離の、その偶然にも、阿部は眉を寄せた。鮮明な既視感にたまらなくなって、胸につまる何かを吐き出すよう阿部は口を開いた。
「なんスか」
出てきた声は、震えずにすんだ。
迷惑そうな愛想のない声に、榛名は眉を跳ね上げ、顎をわずかに持ち上げた。
「久しぶりに先輩に会ってそれかよ。『お久しぶりです』とかゆーだろ、フツー」
「『お久しぶりです』。なんか用ですか」
「相変わらず、可愛いくねー」
忌々しそうにそう言って、榛名はすぐに「まあいいや」と両手をブルゾンのポケットから取り出した。コンビニ袋がするりと落ちて、榛名の右手の先で止まった。
がさごそと袋の中を漁ったかと思うと、榛名は四角い箱を取り出した。左足がわずかに後ろへ下がり、左腕が弧を描き、肘から先が内側へと捩れ、手首がしなる。
心臓が、痛いくらいに音をたてた。
榛名が放り投げた箱が、すっぽ抜けた速球のように飛んできた。阿部は反射的に右手を高く伸ばしてスパイクのかかとを上げた。ベンチコートの肩からストラップがずり落ちて、スポーツバッグがどさりと落ちた。
掴んだのは、ポッキーの箱だった。
「ナイキャーっ」
「……ノーコン!」
「なんだと、こら!」
榛名が左腕を振りかざす。息が、苦しい。けれど、榛名は気づかなかった。マウンドと同じ分だけ離れた距離に、苦しくて歪んだ阿部の顔は榛名には見えなかった。いつだって、見えてなかった。あの人は、オレの顔なんて、見てなかった。
「それ、やるよ!」
一人、機嫌良さそうにそう言って、榛名は背を向けた。小さくなったコンビニ袋をぶらさげて、長いリーチでゆっくりと去ってゆく。多分、白いビニール袋の中身はガムだ。薄っぺらい箱のやつか、プラスチックのケースのやつか、四角い粒のやつ。街灯の光が、滲んで歪んだ。
アスファルトの上にしゃがみこみ、阿部は右手に掴んだ箱ごと膝をかかえて顔を埋めた。
網膜に焼き付いて、
もう
離れない
2004.12.11 「ポッキー物語」2回で終わってしまいました。もっと可愛くなるかと思ったらぜんぜんでした…。阿部のお誕生日ぷれぜんと代わりにポッキーをあげる榛名は可愛いと思ったんですけど。阿部のこころの傷はなまなましかった模様です。
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