熱伝道

















試合に向かうバスの中、隣の席には不機嫌そうな面をしたピッチャーが座っている。

今日の試合先は交通の便が悪く、チームのメンバーは練習場に待ち合わせてマイクロバスに乗り込んだ。一番後ろの座席にはトランクに入りきらなかった荷物が載せられ、狭い通路を挟んで両脇に並んだ二人掛けの座席の、窓際の一つに先に座ったのは阿部だった。

「どけよ、隆也」

座席の上にスポーツバッグを押し込んで、シートに座りなおした阿部を見下ろし、榛名は後からやってきて当然のように窓際の座席を要求した。

「他にも空いてんでしょ」

「先輩の言うこと聞けねえのかよ」

いやがらせだ。

窓際に空席はまだあるのに、わざわざ阿部の席を要求するのは嫌がらせに違いなかった。チームメイトたちは、スケープゴートを差し出して群の安全を保つ草食動物のように、こういう時、見て見ぬふりをする。そしてそれは正しい判断だった。普段から人の口出しを嫌う榛名は、ことが阿部に関わるといつも以上に過剰に反応する。

立ち上がりながら、阿部は聞こえよがしのため息をついたが、口の端を上げて満足そうな表情を一瞬、閃かせた榛名には、少しも効いてはいなかった。

阿部は通路に避けて、バスの中を見回した。空席はまだある。けれどまた荷物を入れなおすのは面倒くさかった。そんな面倒を榛名のせいで被るのも嫌だった。

ご機嫌のピッチャーの隣に座りなおして、阿部はシートを倒した。まだ発車しないバスの窓から外を眺めていた榛名が、気配に気づいたように振り返った。

「なんだよ」

「なにがっすか?」

「なにシート倒してんだよ」

「あんたに関係ないでしょ」

それとも、いちいち許可とんなくちゃなんないんすか。と、倒したシートに背中を預けたまま続けると、榛名は眉間に皺を寄せた。

「そうだよ」

偉そうな声が、傲慢な響きで言うのにももはや慣れた。最初の頃は少しだけ榛名が怖かった。身体の痣が薄くなり、新しい痣ができるのが少なくなってゆくのと比例して、榛名へのむやみな恐れは減っていった。

暴力的で短気で態度が悪いだけだ。マウンドの外の榛名元希なんてそんなもんだ。どこにでもいるようなヤツだ。こわくない。

「俺、バスが着くまで寝ますから、うるさくしないでくださいよ。元希さん」

「なんだよ、それ」

あしらう響きに敏感に眉を跳ね上げて、榛名は声を荒げた。

「許可、とれってあんたが言うから、お願いしたんです。おやすみなさい」

「ホントに寝んのかよ」と、呆れたような怒ったような期待が外れたような、どれとも言えない声だけが、目を閉じる阿部の耳に聞こえた。






















振動に、目が覚めた。

到着したのだろうかと思って目を開けると、バスはまだ目的地に向かう途中だった。遠征慣れしているシニアの連中は、出発して間もなくはうるさくしてもすぐに静かになる。最初のうちは、眠ろうとする阿部の邪魔をしていた榛名でさえ、今はおとなしく窓の外を見ていた。

寝てるのか、と、そう思って視線だけ動かすと、窓に映った榛名の顔が見えた。
この世に面白いことなんて何一つないと思っているような、つまらなそうな顔だった。阿部の腕が硬球の縫い目の残る痣でいっぱいになって、捕球できなくなると、よく榛名はそんな顔をした。

最近は、見ていない顔だった。あの顔は好きじゃない。

阿部は視線を戻して目を閉じようとした。その目が、視界の隅に、シートとシートの間に投げ出された自分の左手を見つけた。

ゆるく開いたてのひらと、そこに半分だけ重なった、手を。

まるで自分の手が下敷きにしているものなど気にも留めていないような、無造作に重ねられた手だった。阿部の親指を包むように絡まる小指と薬指がなければ。

中2にしては小柄な阿部の手は、体格に恵まれた榛名の手と重なると大人と子供のようだ。すっぽりと包まれたそこだけが温かく、振りほどきたい衝動と、正反対の欲求とが指の先からじんわりと染み込んで来る。榛名の体温と一緒に。

嫌だと思うのと同じ強さで、嫌じゃないと思う。のが、嫌だ。期待するのが嫌だ。特別なんじゃないかと思うのが嫌だ。

こいつは、キャッチャーなんて消耗品みたいにしか思っていないのに。榛名にとって、阿部はグローブやボールと一緒だった。ただの、練習道具。

期待するな。こんなやつになにも期待なんかするな。



こんな、サイテイなやつ。



ぎゅっと、阿部は唇を引き結んだ。目を閉じて、重なった手を視界から消し去っても、ふれる温かさだけは消えなかった。











手を、振り払うことはできなかった。























■思う存分すれ違えー。